フィン・マックールとアイルランド上王(2)
フィン・マックールとアイルランド上王(3)
コルマクは上王になった後にもアルスターとの抗争をつづけた。年代記ではアルスターとの戦いで先代のアルスターから出た上王フェルグスの息子をも殺害している。アルスターに対する戦況はおおむね良好だったのだろう。
また、レンスターに対しても歴代の上王のように影響力を及ぼした。レンスターで乙女たちが殺害されるという事件が起こったが、コルマクはこれに対して懲罰として牛を取り立てたのだった。
フィン・マックールはコルマク上王に仕えるようになったが、彼らは決して互いに信頼できる関係ではなかった。このことはディルムッドとグラニアの物語の序盤に、「コルマクと私は長年にわたって争い、敵対してきた」とフィンがコルマク上王の娘、グラニアに対する縁談に懸念を示していることからもわかる。
そういった状況の中でコルマクの娘、グラニアとフィン・マックールの縁談話が取り上げられたのだが、周知のことだろうが、グラニアはフィン・マックールよりも若いディルムッドを選んだ。
グラニアにとってフィンは曾祖父コンの代から戦士の長を務める老将であり、つまり父親よりもずっと年上の老いぼれに過ぎなかったから乙女にとっては無理からぬ話だったかもしれない。だが、グラニアがフィンを選ばなかったことによって上王コルマクとフィン・マックールの仲は更に険悪なものになっていった。
「Tochmarc Ailbhe」ではグラニアとの婚姻の破談のその後が描かれている。フィン・マックールは追放されフィアナの兵権を失ったが、同時にコルマクは兵士たちの信望を失ってフィン・マックールのもとに身を寄せる者もいるほどだった。
結局、コルマク上王はフィン・マックールと和解することに決めた。コルマク上王には他にアルヴァという娘がいた。アルヴァは姉のように老いたフィンを軽蔑せず、フィンとアルヴァは夫婦になることで、ようやくフィン・マックールとコルマク上王は関係を修復したのだった。
コルマクは優れた統治者であったが時に道を失うこともあった。エオガンの息子でありマンスターの王となったフィアハとは同い年であり、彼とは父親の代から良好な関係を築いていた。しかしある時にコルマクは牛の多くを失ってしまい、その損失の穴埋めにマンスターに貢納を要求することに決めた。
これに対してマンスター側は不当な要求だとして突っぱねて戦争になった。そして返答を受けたコルマクはドルイドたちを含めて大軍を編成してマンスターへと遠征をおこなったのだった。
コルマクが連れてきたドルイドの魔術に苦戦を強いられたマンスター軍だったが、エオガンの一族(Deirgtine)とダリニーが連合し、さらに強力なマンスターのドルイドの助けによってコルマク上王軍を打ち負かした。
(ダリニー:いわゆるマックコンの一族が含まれており、エーランの王族)
結局のところ、コルマク上王の覇権がアイルランド北部から南に広がることはなかった。
これにはコンとエオガンの南北分割統治でも触れたことと全く同様に、歴史的な事情の一端が伝説として反映されているのだろう。
コルマクの統治末期においてもマンスターはあらわれて来る。
百戦王コンの息子たちについて思い出していただきたいのだが、コンには息子クリオナやコンラを殺害したフィアハという弟がいた。結局、コンに帰順したのか彼の一族はDéisi、デーシと呼ばれてタラの都に住まうようになった。
ところがコルマク上王の代になってデーシ一族は追放されることになった。なぜなら、デーシュ一族の少女をコルマクの息子が誘拐したことにデーシ一族は怒り、コルマクを襲って王位を退かねばならぬ傷を負わせたからだ。そして彼らはコルマク上王に敵対して幾度か戦い、タラを立ち退くことに決めた。それからというもの苦難の連続だったが、デーシ一族がコルマク上王の追及を逃れて長い放浪の末に安住の地を得たのがマンスター地方だった。
コルマクは負傷のため王位を退かねばならなくなったが、素早くこれに反応したのがアルスターだった。アルスターのエオハズ・グンナトという王が上王の座を奪取したのだったが、あっという間にコルマクの息子カルブレが彼を追い出して新たな上王に君臨したのだった。
こうしてカルブレが上王になったのだが、彼は百戦王コンから数えて4代目の子孫の子孫だ。コン、アルト、コルマク、カルブレ……幾人もの上王に仕えたフィン・マックールにも終わりが近づきつつあった。
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