2018年1月31日水曜日

フィン・マックールとアイルランド上王(5)


フィン・マックールとアイルランド上王(1)
フィン・マックールとアイルランド上王(2)
フィン・マックールとアイルランド上王(3)
フィン・マックールとアイルランド上王(4)



コルマクの息子、上王カルブレの治世においてフィン・マックールは最期を迎えることになるのだがその前にボーラヴェについて紹介する。

「Bórama」という物語がある。このタイトルはボーラヴェ、あるいはボーラヴァといい牛の勘定や牛の貢納といった意味として解釈されている。つまり歴代の上王が求めた徴税の物語だ。このボーラヴェとフィン・マックールは無関係ではないのでそのあたりに触れて行こう。
 さて、ボーラヴェとは牛を税として徴収する支配形態なのだが、これは極めて屈辱的なことだった。(オックスフォード ブリテン諸島の歴史 2巻によると)

中世初期のブリテン諸島における支配体制というのは、王が各地を直接訪問していき争いの調停や税の徴収、部族民との友好関係を確認していくなどという地道な「王の巡回」によって担保されていた。王の巡回はアイルランド語でクアルド・リーグといい、アイルランドでも同様に行われていた。
王の巡回は徴税や軍役など上下関係の確認という負担を現地民に強いたが、同時に王も現地民に対して様々な保護を与えていかねばならず、現地民にとってはうま味のある関係でもあった。
しかしボーラヴェを徴収する地域は王が巡回しない。つまり現地民にとっては負担だけが重くのしかかる支配だった。

「来寇の書」として広く知られる中世の文献に神話時代以降の伝説の王、史実の王などについて記述された巻がある。その中で百戦王コンがレンスターの王を打ち負かしたことが紹介されているのだが、そこではレンスターの人々とともに「フィン・マックールがボーラヴェを支払った」と書かれている。

様々な物語でもタラにいる上王は特にレンスターに対してボーラヴェを要求することが多い。先代のコルマク王が殺された乙女たちの贖いとしてれんすたレンスターに要求したのもボーラヴェだった。「Bórama」ではレンスターに対するボーラヴェの要求が主題となっており、父親のコルマクに引き続いて上王カルブレがレンスターにボーラヴェを要求した際にレンスター王はフィン・マックールに助けを求めている。
 そしてフィン・マックールはレンスターを助けて上王カルブレの軍勢を散々に打ち破って、レンスターはボーラヴェを免れたのだった。同様の趣旨の記述は来寇の書にも見られる。
このようなコンの半分、つまりコンの子孫たる北部の上王に対するフィン・マックールの反抗はこれまで幾度もあった。例えばアルトに対する反逆、コルマクとの対立……百戦王コンに忠実な戦士の部族ルアグネを誅殺したりもした。

さてフィン・マックールの最期の戦いとして名高いガヴラの戦いについてだが、様々な伝説が存在するのでストーリーがきちんと一つの形に納まるようにある程度方向性を定めて語らねばならない。様々な異説については、”それはそれ、これはこれ”、というスタンスだ。

ボーラヴェの件でレンスターに敗れたカルブレだったが、一方で年代記によるとカルブレの軍事的な関心はマンスターにあったようだ。だがそれぞれの事は無関係ではない。
 彼はマンスターと幾度となく交戦しているが、その理由はレンスターにおける権利の奪い合いにあったからだ。 レンスターの権利を守るため、カルブレはマンスターに年に3度、4度と戦を仕掛けていた。それはつまりカルブレにとってレンスターとは牛を収奪することができる財源だったからだろう。
そうした戦いの終着点がガヴラの戦いだった。

年代記ではフィン・マックールはガヴラの戦いの前年に死んでいおり、戦いの主体はフィアナを率いるマンスターという体裁になっている。もちろんガヴラの戦いは多くの伝説で語られるフィン・マックール最期の戦い、という面もあるし一概にそれを否定するわけではない。しかし伝説の中でもカルブレ上王に対決するフィン・マックールを支援しているのはマンスターの勢力だった。
フィアナの戦士たち以外にこのガヴラでの戦いにフィンに味方して馳せ参じている者たちの中にフェル・コルブという王子がいる。
フェル・コルブはマンスターの王族、アリルの息子コルマク・カシュの息子であり、彼の母親はオシーンの娘サウァル(Samhair,フィンの娘とも)だった。コルマク・カシュはその名が示すようにマンスターの王族ダール・ガシュ(Dal gCais)の祖先であり、彼の末裔には最も有名なアイルランドのブライアン・ボル王がいる。
ブライアン・ボルはBrian Bórumaと綴るが、Bórumaとはつまりボーラヴェのことだ。なぜボーラヴェの名を冠したのかというと、ボーラヴェの口を意味する砦を支配したからだとか、あるいはそれほど強大な王だったからだ、などと言われている。

ダール・ガシュは系図上はアリルの子孫、エオガンの弟を始祖とするということになっているが、実際の歴史ではデーシの系統に属するのではないかと言われているようだ。

そしてガヴラの戦いのきっかけとしてよく挙げられるのが、デーシの王子とカルブレ上王の王女が結婚して和平を結ぶ時にフィアナが黄金を要求したことに対するカルブレの反発だ。
さて、デーシとは前回に紹介した先代コルマク上王の時代にタラから追放された一族なのだが、彼らはその時までカルブレ上王と敵対していた。彼らはガヴラの戦いでもフィン・マックールを支援した。

また、上記以外にもカルブレに対抗する軍勢に参加していた者がいた。
伝説ではカルブレを討ち取るのはフィン・マックールの孫のオスカーだったが、年代記や来寇の書ではフォーアーハ(Fotharta,あるいはFortuatha)のケアルブの息子セウェオン(Semeon mac Cearb)が討ち取った者として名を残している。フォーアーハは各地にいる部族でありデーシもフォーアーハに属する系統だと言われる。
上王カルブレはカルブレ・リフィハル(Cairebre Lifechar)といい、リフィーに強く関連している。カルブレの母がリフィーにいたからだとか、リフィーを愛していたからだなどとその名の由来を説明されている。
ジェフリー・キーティングによればカルブレを殺したセウェオンはレンスターのフォーアーハだったとされる。レンスターのフォーアーハはダール・メシン・コルブなどが知られるが、彼らはリフィーを拠点としていた。既に述べてきたレンスターの王、カサル・モールはダール・メシン・コルブの始祖メシン・コルブの兄弟ニア・コルブの子孫にあたる。
(ちなみにアイルランドで最も有名な聖女、キルデアのブリジットはダール・メシン・コルブの血統に属している。)
元来はブレガ、ミースまで彼らレンスターの勢力が及んでいたが、その後、レンスター中心部を保持することが難しくなると、より南へと勢力を後退させねばならなかった。「デーシの追放」という物語においてタラを追い出されたデーシ一族がカサル・モールの息子の”萎え足のフィアハ”らを攻撃して南へと押し出して一時期居座ったことにもレンスターの後退が表れている。デーシらはその後の戦に敗れて流浪を続けたが、カサル・モールの息子たちがレンスター中心部を取り戻すことはなかった。
歴史的にははコンの子孫、イー・ネールの王族たちの支配がレンスターを圧迫するところになったのだった。
もっともらしくガヴラの戦いでレンスターの者たちが参戦した理由を考えるならば、ボーラヴェによる支配についてカルブレと対立していたレンスターの者たちがガヴラの戦いでもカルブレの敵として立ちふさがったということだろうか。


フィン・マックールはこのような様々な利害対立の中にいた。最初に仕えた百戦王コンの時代から既にボーラヴェはフィンの肩に重くのしかかる問題だった。最期の戦場となるガヴラの舞台裏にもボーラヴェをめぐる対立があった。
ボーラヴェは支配の形態だと既に書いたが、ボーラヴェを介してフィン・マックールは多くの場合で被支配民とつながりがあった。そこには支配者に仕えながらも時に支配に対して反抗する英雄のイメージがある。
ガヴラの戦いに上王カルブレは敗れ、フィン・マックールも死に、 それでも支配される部族は依然として残った。時にアイルランドを外敵から守る国の英雄であり、時に怪物を退治する超常的な英雄であり、時にアイルランド南部の地域的な英雄だが、同時に支配される者を助ける英雄でもあったのだ。

そんなフィン・マックールの最期の戦いの相手の五人はルアグネの戦士だった。
彼らは、かつてクヌーハの戦いでフィンの父親クウァルと戦ったUirgriuの子孫だったというのだから復讐の因果は巡るということか。



参考資料メモ(雑

オックスフォード ブリテン諸島の歴史(2) ポストローマ
Annals of the Four Masters
Lebor Gabála Érenn (The Book of the Taking of Ireland)
Foras Feasa ar Éirinn: the history of Ireland
Cath Mhuighe Léana, or the Battle of Magh Leana
Cnucha Cnoc os cionn Life ‘Cnucha, a hill over/above the Life (Liffey)’
Bórama
Timna Chathaír Maír , The Testament of Cathair
ダール・ガシュの系図 (book of Lecanより)
The Expulsion of the Déisi
The Cause of the Battle of Cnucha
Bruiden Bheag na hAlman
Tochmarc Ailbe
Acallamh na Senórach
Ailill Aulom, Mac Con, 7 Find ua Báiscne
Cath Cinn Abrad
Aided Mac Con